自分を偽ったときの 鏡越しに見る

自分の姿がなんとも哀れで反吐が出るが

その反吐を体外に吐き出すことすら出来ず

溜まったまま反吐は体内に蓄積し続け

 

いつしか体を蝕んでいく

 

 

わたしはやりたいようにやるし生きたいように生きる

他の誰でもない自分の人生だ

誰にも奪わせない

簡単に手放してたまるか

 

こうやって強がってないと、

俺はいつしか

気がついたら

どこか知らない場所で

 

一人静かに死んでいるだろう

 

人は死ぬときは独りだってさ

 

何処まで行っても僕はひとりで泣いている

 

秋の風

 

ああ

ぼくは恵まれている

有難いことに。

たくさんの人から愛をもらっている。

しあわせなことだ

 

こんな時はkoboreの歌詞が浮かぶ。

 

こんな歌詞が書ける佐藤赳はほんとにすげえや、、。

 

 

 

大人になるってなんだろうか。

 

時々自分を見失ったりするかもしれないけど

たのしいことはたのしいし、

つらいときはかなしいし、

 

結局自分はそのままな気がする。

 

 

高校生の間だけだと思って抱いていた感情は、

卒業しても自分の中に残っている。

 

正直嬉しかった。

大人になるのがこわかった。

 

 

こうやってブログを書いていると、

自分の中にある得体の知れない感情の正体がひっそりと現れてくれるので

なかなかたのしい。

 

 

ぼくは有名になりたい

とかじゃないんだ。

ただ

日々を大事に生きたいだけなんだ。

 

生きている意味があるって、

誰かに言ってもらわずとも

自分で自分を肯定していたい

誰よりも自分を好きでいたいよ

 

 

ああ、もう4時になる

日が昇る前に僕はもう行くね

 

 

じゃあ

 

またね

寝言

 

あーーーもっと面白いことがしてえ!!!

 

 

てか 卒業してから思った、

自由は与えられすぎるとつまらん。

 

多くの制限がある中で小さな自由が与えられるから、

その休みが素晴らしくキラキラして見えるんや。

 

 

毎日自分ですること決めて、

何もしたくない日はだらだらして、

車校行ったりバイト行ったりした方がいいのは分かってるのに 面倒くさくなってやめて、

どんどん自分がダメになっていく気がして。、

 

自分はそんな目標とか持ってないから

〜までにこれやらなきゃ、とか

〜しておいた方がいい!とかないから

ただ何となく周りに置いていかれてるような気がして、

でもこの自堕落な生活から抜け出すこともできなくて。

 

私は絶対にフリーターにはなれないんだな。と思った

 

そんなの毎日周りを見ては焦って、自分の道がどこか分からなくなる。

 

すぐに落ち込みそうだな。

いやだいやだ。

 

しかし本当に久しぶりに一日中授業を受けた。

懐かしい感じもしたし、なによりとても疲れた。

でもこのおかげで車校は少し希望が見えてきた。

 

明日はバイトだ。2週間ぶり。

動けるかな?まあ動けるだろうけど。なんてったって3年目だからね。

 

マックで働けるのもあと何回なんだろうか。

こうやって色々なものが終わっていくんだもんなあ。この先、新しい出会いがあるとしてもこれはこれでちゃんと寂しいもんだ。

マックは私にとって部活だったし、

もはや第二の家みたいなもんだったから

もう一生あそこで働けないと思うと少し悲しいなあ。

 

ていうか眠い。一日中車校の勉強、よく頑張ったぞ自分。明日も久しぶりに接客しなきゃいけないし、今日はもう寝ようかな。いい夢見れるといいな。

 

おやすみ

何色

 

私は

見ただけで

ワクワクするような

幸せだと感じられるような

写真を撮っていきたい

表現したい

 

私が写真垢をつくって気づいたこと

 

 

映える とか いいね貰える とか

そんなんどうでもいいから

自分が信じたものを感じてほしい

 

投稿欄って自分の本棚のようなものだと思ってて、

自分がその時いいなって思ったものとか

後から見返してひっそりとにやけちゃうようなものを並べてる。

 

これまで絵とか音楽とか色々なものに手出したりしてきたけど

ちゃんと自分が納得できるくらいまでになったのって写真くらいだなあと

最近思うわけですよ

 

一つ一つ

やりたいことなんてまだまだあるし

ここで終わるなんて思ってない。

これっぽっちもね

 

最近日々が眩しいよ

 

幸せって白っぽくて黄色みたいな橙色をしてる

空中に浮かんでて

掴むものじゃなくて

自分のあたりをふわふわと飛んでいる

 

その当たり前の光景に

わざわざ足を止めて気づくのも

気づかず通り過ぎるのも

人それぞれ

 

毎日目まぐるしく変わっていく感情の中で

ふと立ち止まって

この当たり前の日々に

気づくことのできる人でありたいね。

たすけて

 

なんかなあ、


最近深いこととか考えないし言えないんだよね


幸せとか生きる意味とか、
なんにも考えなくなってる
毎日に絶望してる
いや、絶望は言い過ぎか


考えたんだけどさ、これはきっと最近バイト結構入ってるからなんだろうなと。

 

バイトって入りすぎると何かしらのストレスと疲労感で心がいっぱいになるから他のこと考える余裕無くなるんだよね。

 

 

あ、そうか今心に余裕が無いのか


今気づいたわ


これじゃあなんの為に生きてるのか分からなくなってしまうよ、ねえ

 


でも社会人になったらこれが週5であるんだもんな。目の前のことに必死になってときめきもなく自分を消費して生きていくんだろうね、これは国語表現で発表したこと。生き甲斐とは何かっていうお題で。

ブーメランすぎないか?笑っちゃうよね。

まあ別にみんな将来いつかは就職して働くんだから今就職せずに進学したいとかそういうことでは無いんだけど、ほんと、大人になるって何なんだろうね。

毎回のようにこれここで言ってるけど

仕方ないよね、言いたくなくなるまで言わせて。

 

 

なんか

もっと日々を愛したい

 

なんて言ったらクサいと思うかもしれないけど

本当にそう思ってるよ。

 

負の感情なんかに支配されたくない

僕の人生はぼくのものだよ

誰にも邪魔させない

 

 

だからはやく

ここから助けだしてくれよ。

違和感

 

東出昌大の不倫騒動

世間を賑わせてるよね まだうっすら

 

最初は不倫の事実が発覚して

東出と唐田えりかが叩かれて

叩きに叩きまくられて

まあ数日経ったら

Twitterのトレンドから外れて

世間の関心も薄れた頃に

 

「夫婦間の問題なんだから外野は黙るべき」

「叩いていいのは杏さんだけ」

「そんなに叩くのは違うんじゃない?」

 

みたいな意見を

なかなか知名度のある芸能人が

こぞってツイートしている

 

世間の関心も移っているというのに

 

 

なんだかきもちがわるい。

 

 

これを、こういう正論じみた

一歩引いたところから見てるんで

みたいな

ぼくは間違ってると思います

じゃなくて

ぼくも間違ってると思います

っていう

周りが言っててそれに乗っかるだけの

 

これ言っときゃ、

好感度上がるだろ。感

 

 

本当にきもちわるい。

 

中には最初からそう思ってた人もいるとは思うけどね

それでも絶対に乗っかってやってるやつっていると思うんだ

 

 

なんで今更

 

いや、ぼくはやりすぎだと思ってました

 

みたいなツイートするんだよ

そう思ってたのならもっと前からツイートしろよ

って思うわけで

 

まあ実際

夫婦間の問題っていうのも分かるし

執拗に叩きすぎではあるとも思うよ

それは普通にそう思う

 

だけど、だけどな

結局なにが言いたいかっていうと

 

影響力のあるやつもないやつも

人を傷つけたり

嫌な気持ちにさせてしまうかもしれないような内容とか

何かのきっかけで簡単に変わってしまうような意見は

容易に

誰でも見れるような場所で

発言しない方がいい。

 

ネットっていうのはある意味で平等だ

 

何が起こるかわからない

 

そんなことそうそうないし

自分は大丈夫だろとか

たかくくってるキッズ共が足を掬われるんだろう

 

 

大人も十分にキッズだ

 

 

反吐が出る

主人公

 

イヤホンして音楽を大音量で流しながら

駅のホーム走ったり 誰もいない橋の上を

自転車で爆走してるとさ

 

なんか、その曲のMVの主人公になった気分にならない?

誰にも気づかれないようなちっさい声で歌ったり 

登校中はマフラーに隠れて口パクで歌ったりしてさ

 

まるでこの世界に自分しかいないみたい

 

 

シャッフルで流れてきた歌に

にやけながら登校する日々も悪くないよな